千葉地方裁判所 昭和36年(ワ)17号 判決 1962年10月27日
判 決
原告
船橋昭三
原告
船橋カツ
右両名訴訟代理人弁護士
内藤丈夫
被告
江野沢吉松
被告
日本馬匹輸送自動車株式会社
右代表者代表取締役
青山幸高
右両名訴訟代理人弁護士
田口二郎
右当事者間の、昭和三六年(ワ)第一七号損害賠償請求事件について、当裁判所は、次のとおり判決する。
主文
一、被告等は、連帯して、原告等各自に対し、夫々金三二一、二九一円五〇銭を支払わなければならない。
一、原告等のその余の請求を棄却する。
三、訴訟費用は、これを五分し、その二を原告等の連帯負担、その余を被告等の連帯負担とする。
四、判決は、原告等に於て、共同して、被告等に対する共同の担保として、金一〇〇、〇〇〇円を供託する時は、第一項に限り、仮に、これを執行することが出来る。
事実
原告ら訴訟代理人は、被告らは、各自、原告船橋昭三に対し、金四七一、二九一円五〇銭を、同船橋カツに対し、金四二一、二九一円五〇銭を支払わなければならない、訴訟費用は被告らの負担とする旨の判決並に担保を供することを条件とする仮執行の宣言を求め、その請求原因として、
一、訴外亡船橋義治(昭和三〇年七月二七日生)は、原告両名の間の長男、被告会社は、各種競走馬の輸送を主たる業務とする会社、被告江野沢は、被告会社の使用者たる運転者である。
二、被告江野沢は、昭和三四年一〇月一二日、被告会社の業務の執行として、同会社所有の大型馬匹輸送自動車(車両番号千一―あ一二七五号)に馬匹数頭を積載して、これを運転し、市川市中山競馬場から木下街道を北方から南方の同市鬼越方面に向つて時速約三〇キロの速度で進行し、同日午前一〇時八分頃同市高石神七一番地先附近に至り、その道路左側(進行方向に向つて)寄りを進行中、左側(進行方向に向つて)の別紙見取図々示の位置にある小路入口の側溝の渡石の上で友人二名と並んで居た前記訴外船橋義治が、右道路を横断しようとして、同道路中央付近に向つて歩き出して居たのに気づかずそのまま進行した為め、右義治に接触し、急ブレーキをかけたが、右自動車は、停車しないでスリツプし、右義治を左バンバーではね倒して、左前車輪で之を轢き、因つて同人に、脳挫傷の傷害を与え、その場で、即死するに至らしめたものである。
三、然るところ、前記道路は、車歩道の区別のない道路であつて、而も右自動車は、前記の通り、大型自動車であるから、その進行については通常の場合よりも一層強度の注意義務が、要求され、絶えず前方を注視し、危険発生の虞あるときは何時にても停車できるように減速進行するなど、危険発生を未然に防止すべき注意義務があるに拘らず、右被告は、これ等の義務を尽すことを怠り、漫然、時速約三〇キロの速度で進行した為め、右事故を発生せしめるに至つたものであるから、右事故の発生は、右被告の過失に基因するものである。従つて、右被告は、右事故の発生によつて生じた損害の賠償を為すべき義務があり、又、被告会社は、右被告の使用者として、その損害の賠償を為すべき義務のあるものである。
四、而して、原告船橋昭三は、前記義治の葬儀の費用として合計金一〇〇、〇〇〇円の支出を余儀なくされて、同額の損害を蒙つたので、本訴に於て、その内金五〇、〇〇〇円の賠償を求め、又、原告両名は、最愛の子である右長男義治の不慮の死によつて、精神上甚大な苦痛を蒙つたので、之に対する賠償として、慰藉料の支払を求めるものであるが、その慰藉料の額は、原告両名は、夫である原告船橋昭三に於て、使用人三〇人余りを使用して輸出向電気器具の製作会社を経営し、上流の生活を為して居るものであること、右亡義治が原告両名の一人子であること、同人の死が不慮の死であること、及び被告会社が中央競馬の馬匹輸送を独占する資本金九、〇〇〇、〇〇〇円の大会社であること、その他諸般の事情を参酌し、各自金一、〇〇〇、〇〇〇円と算定するのが相当であつて、本訴に於ては、都合により、原告等各自について、内金五〇〇〇、〇〇〇円宛の支払を求めるものであるところ、原告等は、昭和三六年六月三〇日、自動車損害賠償保障法による賠償金一五七、四一七円の支払いを受けたので、之を折半して、原告等の各自の請求金額中から夫々金七八、七〇八円五〇銭を控除し、各自金四二一、二九一円五〇銭の支払を求めるものである。
五、仍て、被告等各自に対し、原告船橋昭三に右損害賠償金及び慰藉料の合計金四七一、二九一円五〇銭の、同船橋カツに右損害賠償金四二一、二九一円五〇銭の各支払を命ずる判決を求める。
と述べ
尚、被告等は、右義治の葬儀に際し、香典として、金一五、〇〇〇円と生花を霊前に供したのみで、他に、何等の措置も為して居ない。
と附陳し、
被告等の主張に対し、
被害者訴外義治は、前記事故発生前、前記見取図々示の位置にある小路入口の側溝の渡石上の同図々示の位置にある(イ)点附近で友達二、三名と共に遊んで居たものであつて、右(イ)点附近は、被告等主張の板塀よりも表道路に突出て居り、又、前記道路の現場附近は、舗装されて居て、一帯に、平坦且直線で、見通よく、従つて、相当遠距離からも右(イ)点附近に子供の遊んで居る姿は之を発見認識し得るものであるから、前記自動車の運転者は、被告等主張の(は)点、(に)点附近に於て、当然に、被害者を発見認識し得た筈であり、従つて、又、之によつて、当然に、危険の発生を防止する措置をとり得たものであつたに拘らず、之を発見認識せず、その為め、危険の発生を防止する為めの何等の措置をもとらず、漫然、進行した為め、右義治が道路中央に向つて歩出したことに気付かず、右見取図々示の位置にある(ハ)点附近に於て、之に右車の左前車輪を衝突せしめ、その直後に、同図々示の位置にある(ニ)点附近に於て、急ブレーキをかけたのであるが、車は停らず、そのままスリツプして、被害者を轢き、同図々示の位置にある(ホ)点附近で漸く停車したものであるから、右事故の発生については右車の運転者に過失があるものである。
と答へ、
被告ら訴訟代理人は、原告の請求を棄却する、訴訟費用は原告らの負担とする旨の判決を求め、答弁として、
一、請求原因第一項の事実は、之を認める。
二、同第二項及び第三項の事実中、被告会社の使用者である被告江野沢吉松の運転して居た被告会社所有の大型馬匹輸送用自動車が馬匹輸送の途中、原告等主張の日時場所に於て、訴外船橋義治に衝突し、同人が、脳挫傷によつて、その場で、即死したことは、之を認めるか、その余の事実は、之を否認する。
三、右被告江野沢吉松は、右事故発生の当日、右大型馬匹輸送用自動車に競走馬三頭を積載し、外に馬丁三名を同乗させて、中山競馬場を出発し、府中競馬場に向つたのであるが、積載馬の中に積込のときから興奮して暴れる馬が一頭あつた為め、調教師から鎮静するまでの間速度を出さない様にして貰いたいという注意があつたので、時速約二〇キロの緩速度を保ちながら現場附近にさしかかつたところ、対向してくる小型四輪車があつたので、更に速度を時速約一六キロ程度に減速徐行し、別紙見取図々示の位置にある(は)点附近で、左方にハンドルを切つて、道路左側を進行し、同図々示の位置にある(に)点附近で、更に、左側に寄つて、右小型四輪車とすれ違い、同図々示の位置にある(ほ)点附近で、ハンドルを右方に切り、同図々示の位置にある(へ)点附近まで進行したとき、同図々示の位置にある左手の小路から、被害者が、突然、右輸送車の進行方向に向つて直角に飛出して来たので、右被告は、直ちに、急ブレーキをかけたのであるが、その時には、既に、被害者は、車の前部に飛込んで居り、一方車は、約五メートルスリツプして停止したのであるが、その間に、被害者は、車の左前車輪に触れて倒れ、即死するに至つたものであつて、而も、右被害者の飛出して来た小路は、車の進行方向から見るときは、道路左側の右にかくれて居て、見通が全く不可能な小路で、その存在することすら、その入口前に到達しなければ判明しない小路であり、右被害者は、この小路の入口奥で、友達の訴外渡辺朝行(当時四歳)同小野島昭(当時四歳)と遊んで居る中、突然、一人で、その入口奥から表道路に飛出し、進行中の右車の前方に飛込んだものであるから、右事故については、右被告には全く過失のないものである。従つて、右被告には、損害賠償の義務はなく、従つて、亦、その使用者である被告会社にも損害賠償の義務はないものである。
四、仮に、右被告江野沢吉松に何等かの過失があつたとすれば、右被害者の父母として、その監護を為すべき義務のある原告両名にも、その義務を尽さなかつた過失があるのであるから、損害額の算定については、その過失が斟酌せらるべきものである。
五、原告等が、右事故によつて、その主張の額の損害を蒙つたことは、全部、之を争う。
六、尚、原告等が、その主張の頃、自動車損害賠償保障法によるその主張の額の賠償金を受領した事実及び被告等が右被害者の葬儀に際し、原告等主張の額の香典並に生花を霊前に供したことは、孰れも、之を争わない。
と述べ、
原告等の主張に対し、
前記事故発生の当時、前記自動車の運転者は、対向車とすれ違ふ為めに、最低限度の徐行を為し、且、前方及び左右を十分に警戒して進行して居たものであるところ、突然、見通の不可能である前記小路から被害者が飛出し来たつて進行中の右車の前方に飛込み、その為め、急ブレーキも効を奏さなかつたものであり、従つて、前記事故の発生は全く不可抗力のそれであつて、右運転者には何等の過失もなかつたものである。
尚、右の様な状況下に於ても、なほ、転転者に、急停車等の緊急措置をとることが要求されるものとするならば、自動車は、常時、自転車以下の低速で運転することを要求される結果となるものであつて、かくては、高速度の交通機関である自動車は、全く、その機能を失うに至るものであるから、自動車の運転者には右の様な義務はなく、従つて、この点に於て、右運転者に若干の欠くところがあつたとしても、それは、過失とはならないものであるから、右運転者には過失はなかつたものである。
と答え、
証拠≪省略≫
理由
一、訴外亡船橋義治(昭和三〇年七月二七日生)が原告両名の長男であること、被告会社が馬匹輸送等を主たる業務とする会社で、被告江野沢が被告会社に雇われて居る自動運車転者であることは、当事者間に争のないところである。
二、而して右被告江野沢が、原告等主張の日に、被告会社所有の大型馬匹輸送用自動車に馬匹を積載し、中山競馬場から木下街道を南方の市川市鬼越方面に向つて進行中、同市高石神七一番地附近に於て、右訴外義治と衝突し、同人が、脳挫傷の傷害を受けてその場で即死したことは、弁論の全趣旨に照し、当事者間に争のないところであると認められる。
三、仍て、先づ、右事故の発生について、右被告江野沢に過失があつたかどうかについて審按するに、
(1) 検証の結果によると、
(イ) 前記事故現場附近の前記道路は、舗装された歩車道の区別のない平旦且直線状の道路で、その両端には側溝が設けられてあつて、その幅員は、側溝を除いて約六メートルであり、又、前記自動車は、車体の幅員二、三三メートル、左右の車輪の間隔一、七九メートル、車体全長八メートルある大型の自動車であること、
(ロ) 右事故現場附近の道路左側(自動車の進行方向に向つて)の別紙見取図々示の位置には、右道路から入つて東方に通ずる幅約一メートル余の小路があり、その入口の側溝の右見取図々示の位置には、渡石が取付けられて居ること、そして、それが取付られて居ることによつてそこが、右道路から出入する小路の出入口になつて居り、従つて、そこから右小路の通ずることが、右道路上の若干離れた地点からも、認識し得ること、
(ハ) 尤も、右道路の左側(右向)と右小路の東側の右見取図々示の位置には、同図々示の通り、高さ約二メートルの板塀があつて、右道路の北方からは、右小路の右出入口以東の内部の状況を見通すことは、全く不可能であること、が認められ、
(2) 又、(証拠―省略)検証の結果とによると、
(イ) 前記自動車は、前記道路の右見取図に被告等主張の自動車の進行経路と図示してある経路を進行し、当初は、時速約二〇キロ程度で進行して居たが、(は)附近に於て、反対方向に向つて進行して来る小型自動車があつたので、運転者は、これとすれ違う為め、ハンドルをやや左に切ると共に、速度を時速約一五乃至一六キロ程度に落し、(に)点附近に於て、更に左側に寄つて、右小型自動車とすれ違いを終り、(ほ)点附近に至つて、自動車を元の位置(道路の中央寄り)に返す為め、やや右にハンドルを切つて、進行を続けたこと、
(ロ) そして、右運転者は、その間、前方及び左右を注視警戒することを怠らなかつたが、右見取図々示の位置にある原告等主張の(イ)点附近(前記側溝の渡石上)には子供の姿は、全く見られなかつたこと、
(ハ) 従つて、警笛も吹鳴せず、そのまま進行したこと、
(ニ) 然るところ、右自動車が(ヘ)点附近を通過した頃、突然、被害者である訴外義治が右小路の入口から飛出して、進行中の右自動車の前方に飛込み、之に気付いた右運転者は、直ちに、急ブレーキをかけたが、右自動車は、スリツプし、この為め被害者は、右自動車のバンバーに触れて倒れ、右自動車の左前車輪と地面との間にはさまれ、右自動車は、これをそのまま押して、約三メートル余り進行し、(ち)点附近に至つて、停車したこと、
が認められ、以上の認定を動かすに足りる証拠はなく、而して、以上に認定の事実によると、被害者である右訴外義治は、進行中の右自動車からは見通不能の前記小路から、突然、右自動車の前方に飛出して、その進路に飛込み、その結果、右自動車と衝突するに至つたものであるといい得るのであるが、(この点について、原告等は、右被害者義治は、右自動車が右事故にさしかかる前から右見取図々示の位置にある(イ)点附近で、友達二、三名と遊んで居り、その地点は、相当遠距離から之を見通し得るものであるから、右自動車の運転者は、相当手前に於て、右被害者を発見認識し得た筈であり、従つて、右被害者が右地点から道路中央に向つて歩出して居たことは、当然に、之を認識し得たに拘らず、前方注視の義務を為すことを怠つた為め、之を認識しないで漫然進行し、その結果、前記事故の発生を見るに至つたものであるから、右自動車が右被害者に衝突したものであるという趣旨の主張を為して居るのであるが、之を認めるに足りる証拠は全然ないので、右事実のあることは、之を認めるに由ないところである)
斯る場合に於ても、右自動車の運転を為した者に右事故の発生を未然に防止し得べき措置をとり得る余地があつたならば、その措置をとらなかつたことに於て、右運転者にも過失があつたものといわざるを得ないものであるから、右に認定の事実があつたというだけでは、右運転者に過失がなかつたとはいい難く、而して、右の場合に、右運転者に右措置をとり得る余地のあつたことは、以下に認定の通りであつたに拘らず、右運転者は、右措置をとらなかつたのであるから、右運転者にも過失があつたといわざるを得ないのである、即ち、(証拠―省略)によると、前記自動車の運転者である被告江野沢は、従前再三に亘つて右道路を往復し、前記小路のあることを知悉して居たことが認められ、又、検証の結果によると前記側溝に前記渡石のあることによつて、相当手前から右小路のあることを了知し得た筈であることが認められ、又、前記認定の部分には、前記認定の板塀があつて、右小路の入口附近より奥は、見通が不可能であつて、何時、右小路から人が出て来るか判らず、而も、右自動車は、右道路の左側寄りを進行して居たこと前記認定の通りであつて、不意に右小路から出て来た者との衝突の危険性があり、更に、検証の結果によると、前記自動車は、機関部が前部に突出して居て、その高さも相当に高く、而も運転台は右側にあつて、運転台からの左側前方に対する死角は、相当に広く、殊に、幼児に対しては、その死角は更に広まるものと認められるところ、右自動車は、右の通り、道路の左側寄りを進行して居たのであるから、右小路から出て来たものは、右死角内に入り運転者に於て之を発見することが不可能な事態も生じ易く、従つて、衝突の危険性の度合も高く、これ等の点を綜合すると、右自動車の運転者は、前記側溝の渡石のある地点から若干手前附近に於て、一時停車して、右小路から人が出るか否かを確めた上進行を開始するか、若くは何時にても直ちにその場で停車し得る様に最徐行を為した上、警笛を吹鳴して、左側に警告を発する等の措置を講じて進行するのが相当であつたというべく、そして、この様な措置をとることは、右の場合、極めて、容易であつて、斯くすれば、右事故の発生は、未然に防止し得たと認められるに拘らず、この措置をとらず、速度を若干落したのみで、そのまま、進行を続け、しかのみならず、前記事故発生の直前に於ては、対向車があつて、必然的にこれとすれ違うことになつて居たこと、前記認定の通りであり、そして斯る場合に於ては、右道路の幅員が比較的狭い為め、バス等の大型車は、孰れも、一旦停車して、対向車をすれ違わせ、然る後に進行を開始するのが常態であつたことが、証人五十嵐伊太郎の証言(第一回)によつて認められるので、大型車である前記自動車を運転して居た右被告もこの例に習い、前記認定のすれ違いを為した地点附近で一旦停車し、然る後に進行を開始するのが、右の場合に於ける右運転者のとるべき措置であつたと認めるのが相当であるというべく、而も斯る措置をとることは右の場合、極めて容易であつて、(右運転者は、右すれ違いを為す為め、その進行方向を左側に寄せ、且速度をも落して居ること、前記認定の通りであるから)、斯くすれば、当然に、前記事故の発生は未然にこれを防止し得たと認められるに拘らず、この措置をもとらず、速度を若干落したのみで、そのまま、進行を続け、その結果、前記事故の発生を見るに至つたものと認め得るから、右事故の発生については、右自動車を運転した右被告側にも、亦、その責任の一半があるというべく、従つて、右事故の発生については、右運転者にも右何れの措置をもとらなかつた点に於て、過失があつたものと断せざるを得ないものである。
被告等は、右事故の発生が不可抗力によるそれであるから、右被告江野沢には過失がない旨、及び右の様な場合に右自動車の運転者に右の様な危険防止の義務を認めることは高速交通機関である自動車の機能を無にするものであるから、仮に、右の様な義務があつたとしても、その義務違反は過失とならないという趣旨の主張を為して居るのであるが、右に認定した諸事情のあることの認められる本件に於ては、右主張は、孰れも、理由がないものと認められるので、孰れも之を排斥する。
四、而して、右運転者である被告江野沢に過失がある以上、同被告に右事故の発生によつて生じた損害の賠償を為すべき義務のあることは多言を要しないところであり、又、右自動車の進行が被告会社の為めに為されたものであることは、前記認定の事実によつて明白なところであるから、被告会社は、その保有者として、右事故の発生によつて生じた損害の賠償を、為すべき義務のあること勿論であるところ、(この点について、原告等は民法第七一五条の適用あることを主張して居るのであるが、自動車損害賠償保障法は、民法に対する特別法であつて、右の点については、当然、右保障法が優先適用されるものと解されるから、右民法の規定の適用のあることの主張が為されて居る以上、右保障法の適用のあることは、当然に、その主張の中に包合されて居るものと認め得るものである)、前記認定の諸事実のあることと(証拠―省略)を綜合すると、右被害者の監護について、その父母である原告等に欠くるところがあり、その結果前記事故の発生を見るに至つたものであることが認められるので、原告等にも過失があつたといわざるを得ないものであるから、損害賠償の額を定めるについては、この過失をも斟酌すべく、而してこの過失を斟酌すると共に、前記見通不可能の事実のあること及び被害者が突然見通不可能の前記小路から表道路に飛出し、進行中の自動車の前面進路に飛込んだ事実のあること等を考慮すると、被告等の賠償責任は、三分の一程度と認定するのが相当であると認められるので、被告等に於て、賠償を為すべき義務のある額は損害額の三分の一であると認定する。尚、被告江野沢の損害賠償義務と被告会社のそれとの間には、不真正連帯の関係があるといい得るから、その支払については、連帯による支払を為すべきことを命ずるのが相当であると認める。
五、仍て、原告等の蒙つた損害の額について、按ずるに、原告等の蒙つた精神上の苦痛に対する慰藉料の額は、本件に現われた証拠及び弁論の全趣旨によつて認められるところの諸般の事情を綜合し、特に、被害者である義治が原告等の唯一人の男の子であること、而もそれが幼児であつて、その死が不慮の死であることを考慮し、原告等各自について、夫々、金一、二〇〇、〇〇〇円と算定するのが相当であると認められるところ、被告等の賠償責任のある額は、その三分の一の額であるから、被告両名に於て、支払を為すべき義務のある額は、原告等各自に対し、金四〇〇、〇〇〇円宛であるところ、原告等に於て、自動車損害賠償保障法による賠償金として、金一五七、四一七円を受領したことは当事者間に争のないところであるから、この額は折半して、夫々、右賠償額から控除されるべきものであり、従つて、その残額は、夫々金三二一、二九一円五〇銭となる。
更に、原告昭三は、右義治の葬儀に際し、合計金一〇〇、〇〇〇円の支出を余儀なくされ、同額の損害を蒙つた旨を主張して居るのであるが、之を認めるに足りる証拠は全然ないので、右原告が右額の損害を蒙つたことは、之を認めるに由ないところである。
六、以上の次第であるから、原告等の慰藉料の支払を求める部分の各請求は、原告等各自に対し、夫々、金三二一、二九一円五〇円の支払を求める限度に於て、正当であるが、その余は、失当である。
又、原告昭三の金五〇、〇〇〇円の損害賠償金の支払を求める部分の請求は、その損害を蒙つた事実のあることを認め得るに足りる証拠のないこと、前記の通りであるから、右支払を求める部分の請求は失当である。
尚、右義治の葬儀に際し被告等が原告等主張の額の香典及び生花を霊前に供したことは当事者間に争のないところであるが、それは儀礼的な贈与であつて、原告等に於て之を利得したものとは解し難いので、損害賠償額から之を控除することは相当でないと認められるから、その控除は、之を為さない。
七、仍て、原告等の各請求は、右正当なる部分のみを認容し、その余は、全部、之を棄却し、訴訟費用の負担について、民事訴訟法第八九条、第九二条、第九三条を、仮執行の宣言について、同法第一九六条を、各適用し、主文の通り判決する。
千葉地方裁判所
裁判官 田 中 正 一
現場見取図≪省略≫